こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。
「死」という言葉がタイトルにあるので、嫌な感情を持たれた方もいらっしゃると思います。私も以前はこの言葉を見聞きするだけでとても不快な気持ちになっていました。
その私が死生観を持ち、それを公開するなんて自分でも驚くほどの変化です。「死」に対して恐怖しかなく、死があるという事実を認めようとしなかったわけですから、死生観なんて考えたことさえありませんでした。
私が死生観を持って感じることは、一見ネガティブなことのようでいて、実はとても前向きで自分らしく生きることにつながることだったということです。
コロナのおかげで死に対する価値観が変わった
私は40年以上「死=不幸」なものだと思い込んでいました。
誰かが亡くなったという話を見聞きする度に、目や耳を塞ぎたくなり、身体に力が入って呼吸も浅くなりました。
また、親が年老いていく姿を見たりして死が頭をよぎると心が締め付けられて苦しかったです。
そういった囚われの感情は、別の感情と入れ替わっては戻って…と無意識に私の中で繰り返されていました。
現実を受け入れることが全くできていなかったのです。新型コロナウイルスが世界中で騒ぎになった当初もそういう感じでした。
でもふと、「私たちはみんな死ぬのに、なんでこんなにも恐れているんだろう…」と思うようになりました。
「死=不幸」という思い込み
「なぜ、私たちは誰にでも訪れる死をこんなにも恐れるのか…」
コロナがニュースなどで騒がしく報道されるようになり、かえって私は冷静になっていきました。
世の中では当然のように「死=不幸」として扱われ、そういったニュースは暗くおどろおどろしい伝え方をされ、死が最悪のものであるとするコメントばかり(このようなコメントをされる方を否定するわけではありません)。
このような世の中で生きてきたら、死が最大の不幸だと私たちに刷り込まれてしまうのも当然ですよね。
とくに小さい頃からそういったものを見させられていたら…。
「死=不幸」と捉えると、私たちはいつか必ずやってくる自分・家族・友人などの死に怯えながら生きることになるわけです。
わたしたちは、とてつもない恐怖や苦しみを自分の根底にいくつもいくつも持ちながら、それを意識しないように気づかないふりをして生活している状態なのです。
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幸せに生きたいのに 不幸に向かって生きている という矛盾
人生の最後に不幸が待っている…
この考え方ではこの世自体が不幸で苦しい世界で、生きることが苦しみになってしまいます。
私たちが目標を立てるとき、ほぼすべての人が、今より良くなるような目標設定をしますよね。
でも、私たちは親や世間の社会観念、世の中の仕組みなどから、人生のゴールをネガティブなものに設定されてしまっている状態だと思うのです。
だから、「不安にならないようにするにはどうするか。嫌われないようにするにはどうするか」といった、恐れをベースにした思考・行動をしてしまいます。
これで本当の幸せや喜びは感じられるでしょうか。だから私たちは幸せを感じたとしても、いつの間にか不安に囚われてしまう…。そういった繰り返しをしながら、恐れを感じる方向へ進んでいっているのです。
私たちが本当に幸せな人生を生きたいのなら、人生のゴールを最高の愛と喜びに満ち溢れたものとして、喜びをベースにした思考・行動に意識的に変えていくことが大切だと思います。
大人が変わっていく
今これを読んでいらっしゃる方は、「これが幸せだ」「こうするべき」などと外側の幸せや常識ばかりに目を向けてしまう、「○○しないと認めない」「○○できたらほめてもらえる」といった条件付けの愛で育ってきた人たちが多いのではないかと思います。
親や世間の価値観の枠に押し込まれ、不安を煽られ、自由を奪われる…。
誰かの失敗がほかの誰かの得になり、喜びになり、幸せになり…、失敗した人は得をした人を恨み、卑下し、不幸になっていく…。
そういった不幸の循環が起こってしまっていると思うのです。私もその循環の中で生きていました。
でも親自身も意図的ではなく、そのような社会や価値観の中で生き、正しいと思い込んできたのでしょうから、親が悪いというわけでもないと思います。
でも、「なぜか幸せになれないな」と感じながらも向き合わず、その虚しさを子供など自分より立場の弱いの人間に埋めてもらおうとしたり、他者や環境のせいにしてきたことには気づいてほしいなと、つい願ってしまいます。
私たち大人が本当の幸せに目覚め、価値観の押し付けをやめ、精神的に自立をしていくときなんだろうなと思います。
私たちが苦しいと思うのなら、その苦しみの連鎖を私たちが私たちの時代で、勇気をもって断ち切っていきましょう。
「他者を変えるのではなく、一人ひとりが自分で自分を幸せにする精神的自立をしていくこと。この世が不幸で苦しい世界ではないということを体現していくこと」が大事だと思っています。
人生を前向きに生きるための死生観
この世に生まれてきたことに感謝と喜びを感じながら、人生の最期を迎えるために今をどう生きるのか。
私たちは必ず死にます。でもそれがいつなのかは誰にもわかりません。だから、ただなんとなく明日も明後日も、10年後も20年後も生きているだろうという感じで生きている人が多いと思います。
でもそうやって生きていると、ふと焦りや虚しさを感じませんか?
私はすごく感じます。「あー、今年ももう終わっちゃう」「自分はこの歳にもなって何をやってきたんだろう」など、他者や過去と比べて自分のダメ出しをして情けなくなったり…。
大人になると卒業というものがなくなりますよね。
学生時代には「楽しい思い出をつくって卒業しよう!」と卒業に向けて寂しさを抱えつつも、今を生きていたように思います。
いつ卒業するのかわからないこの人生。いつ終わったとしても「生まれてきて良かった」と想える自分でいられるように、死というものを受け入れて一日一日を大切に生きていきたいなと思うのです。
そして、「自分にとって必要なことが必要なタイミングでやってくる」。私の人生においても。
終わりがあるからこそ自分がやりたいことが見えてくるし、楽しく生き切って、人としての生を終えたい。
そんな風に思っています。
壮大なことを語ってしまいましたね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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