こんにちは。スナオイロのナオコと申します☺
この度は、スナオイロをご覧いただきありがとうございます!
スナオイロを始めたのは、もう3年ほど前(2022年)になるのですが、進められずに放置していたのを復活させることにしたので、あらためて自己紹介と言いますか、わたしの今に至るまでをザックリと、わかち合っていきたいと思います。
現在のプロフィール
今のわたしの肩書きは何もありません。
2023年に離婚をして主婦でもなくなり、こどももいないので、ただの中年の人です(1975年生まれ)。
わたしは自分のことを、「こうあるべき」という今の社会、親、人間関係のしがらみについて行けなくなった、適応障害者であると思っています。
多くの人から見たら、わたしはこの社会の落ちこぼれ。
でも、それでいいと思っています☺
この世界の流れにわたしは疲れ果てて降参し、自分だけの道を創りながら進んでいくことにしたのです✨
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わたしの思想の基盤
元セラピストの知識と経験
10年ほど前にやめてしまいましたが、わたしはアロマテラピーやカラーセラピー(オーラソーマ)などのセラピストをしていました。
個人サロンも開いていたほど、セラピストという職業が大好きで天職だと思っていました。
それは、「アロマテラピーやオーラソーマ(色)が大好きだから」という理由のほかに、『セラピスト』がおしゃれでかっこいい、自慢できる職業だと思っていたからという…承認欲求だったんです。笑
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アロマテラピーとオーラソーマ
アロマテラピーを学び始めたのは27歳くらいの時。
わたしはもともと薬や病院が嫌いだったのですが、ふとインターネットで目にした『アロマテラピー』にすごく惹かれたのがきっかけです。
その後、精神面のケアも重要だなと思ったわたしは、大好きだった色を使ったセラピーの『オーラソーマ』も学び始めました。
『オーラソーマ』は、お客さまのためにと思って学び始めたことなのに、自分自身がずっと支えられてきました。
相当に飽きっぽいわたしが、20年以上経っても未だに興味を失うことのないものが、アロマテラピー(自然の植物の香り)とオーラソーマ(色の言語、数字、占星術など)です。
今でもわたしの思想のベースにあるのは、このときに学んだオーラソーマの色をはじめとした、それに関わる多くの奥深い世界で、この『スナオイロ』で話していくことのベースもここにあります。
わたしの過去のわかち合い
承認欲求が強く、自分を受け入れられなかった
承認欲求がとても強かったわたしは、先ほど書いたように「人からどう思われるか」ということに、とても執着していました。
そして、アロマテラピーやオーラソーマのほかにもたくさんのお金をつぎ込み、たくさんの資格と肩書きを手に入れました。
「この資格や技術が手に入ったら満足できる」
そう思っては次、そう思っては次…の延々ループでした。
「まだ足りない」
今思えば、わたしはずっとそんな満たされない気持ちを抱えながら、他者から認めてもらうために生きていました。
元夫はギャンブル依存症
わたしは2023年に離婚をしましたが、そのときの夫がギャンブル依存症でした。
いろんなところから借りられるだけ借金をしてはギャンブルをし、それがわたしに見つかってやめる…といったことを幾度となく繰り返していました。
たぶん中古のおうち1軒は買えたんじゃないかな…。笑
そして、わたしはいつも、
「どうやったら借金を早く返せるか」
「どうやったら生活をやりくりできるか」
「どうやったら元夫がギャンブル依存症をやめてくれるか」
「どうやったら元夫の精神が安定するか」
などといった自分以外のことに思考やエネルギーをフル回転させていました。
親のことにも多くのエネルギーを使っていたので、この期間は無気力でほぼ毎日が体調不良でした。
自分の人生を深く見つめ直すきっかけに
元夫の『ギャンブル依存症』は、セラピストだったわたしにとっては腕の見せ所でもあり、「わたしが治す!」と思っていましたが、悪化していく一方でした…。
セラピストとして自信があったわたしのプライドはズタズタになり、セラピストをしていたことさえ後悔するようにもなりました。
そこでわたしは、「元夫のギャンブル依存症が悪化している要因が自分にもあるんじゃないか…」と視点を変えていくようになりました。
実際、現在進行形で悪化をしているわけですから…。
わたしは元々、『すべての事象は起こるべくして起こっている』という考え方をよくしていたので、
「元夫が自分を投影している姿なのかも…」と思いはじめるようになります。
ここから、わたしは本格的に自分自身と深く向き合っていくことになりました。
親は支配的で過干渉
わたしはセラピスト時代の知識や知恵を自分自身に使い出し、それまで以上に深く向き合うようになりました。
そこで、わたしは自分の奥底にずっと封印して抑圧してきたものを見るようになりました。
その中でも大きなことが親のことでした。
わたしの父親は過度の心配性で過干渉、母親は過度の負けず嫌いでした。
夜になると親のケンカする声がしょっちゅう聞こえてきて、わたしは苦しくて仕方がなかったという思い出があります。
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わたしが大人になってからは大声でのケンカなどはなくなりましたが、親の会話の多くが否定的な内容で、会うとドッと疲れを感じていました。
親と会うことを苦痛に思ってしまう、そんな自分のことをわたしは『親不孝者』だと思い込み、できるだけ親の願い通りに、良い娘として動くように心がけていました。
親との依存関係
そして、わたしは親と依存関係にあったことに気がつきました。
「親に向かってなんだその態度は!」
「どうして親の言うことが聞けないんだ?」…
「親はこんなにがんばってるのに!」
「今日はこんな風にみんなから褒められたんだぞ!」…
と、親を崇め、褒めることを刷り込まれ続けてきた幼少期。
その支配と恐れが自分の中に根深くあったこと、そしてわたしは親の承認欲求を満たすために生きていたということに気づいてしまったのです…。
ありのままの「わたし」が安心できる居場所がなかったんだ…。
「このまま近くにいたら、わたしも親も本当の意味で幸せになることはできない…」
わたしが自分自身と向き合っていく中で、親が思う幸せの価値観と、わたしが思う幸せの価値観が相容れないことに気づかされました。
親の価値観では、わたしは幸せになるどころか苦しみの中で生き続けることになるし、かと言ってわたしの価値観を親に押し付けることも違う…。
わたしは冷酷な人間だと思われることも覚悟して、親から逃げるように引越しをしました。
それが2021年です。
親への思い
正直、わたしは今でも親に対して恐れがあります。
でも、怒りの気持ちはまったくありません。
親に対して偉そうで、冷たい人間の言い訳に聞こえるでしょうが、わたしは家族に「精神的に豊かで自立した、本質的な幸せを感じながら生きてほしい」と心から願っています。
そして、わたしが『ありのままのわたしとして生き切る』こと、それが本当の親孝行、ご先祖様への供養だと思って生きています。
おわりに
わたしはブログなどをお休みしていた期間、精神的に満足していました。
だからこのままの状態で自分に心地よく生きていられればそれでいいかな♪
と思っていました。
ですが、この世を終えるときにそれで自分は納得するだろうか?
と自分に問いかけてみたら、自分は心地よく生きられるようになったけど、周りを見渡してみるとそうではない人がとても多く感じてしまう世の中なわけで…。
自分は苦しみを乗り越えて心が軽やかになり、その方法を知っている。
なのに苦しみを抱えている人にそれを伝えないのは、どうなんだろうか…。
やっぱり、わたしの体験・学び・知識・知恵…、わたしが伝えられるものは伝えきってこの世を終えていこうと思い直し、再開することにしました。
これがわたしのブループリント🌎だと思って、残りの人生を生き切るつもりです(大げさ。でも本気。笑)。
あなたの心に少しでも、あたたかな光が差し込みますように✨
愛と豊かさ満ちあふれる、この瞬間をともに生きていきましょう☺
スナオイロ🪷ナオコ
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