こんにちは、なおこです。ご覧いただきありがとうございます。
今朝、夫が朝起きて来るなり、
「あー、今日は天気が悪いなぁ・・・」
とぼやいていました。
私も以前はよく使っていた言葉です。
でも、ここ数年は使わなくなりました。
そんなどうでもいいような話から、わかち合いをしていきます。
「雨の日が悪い日だ」という思い込み、すり込み
今朝の夫のぼやきのようなこと、あなたやあなたの周りの人でも言っている人は多いのではないでしょうか。
私は、私自身もそうでしたし、親もそうでした。
テレビなどでもたぶんそうですよね、晴れていれば「良いお天気です」とか、くもりや雨だと「あいにくのお天気です」とか。
こうやって、大人たちから子供たちへ、公共の電波を使って多くの視聴者へ、「雨だと良くない日だ」という考えがすり込まれているのです。
良い一日は、自分で創りあげていく
当然、そう思う気持ちもわかります。
出掛ける時に雨が降っていれば水はねが気になったり、歩きにくくなるし、傘を使わないといけないから荷物も増える。
外でやる行事の日に雨が降れば、楽しみにしていたものが中止になったりもする。
私も雨が降って予定していたことができなくなると、「残念だな」と思うこともあります。
でも、だからといって、「雨だから気分が落ち込む。嫌な日だ」という風に決め込んでしまうと、もったいないと思うんですね。
雨であっても台風であっても、自分の心持ちや、「どうやって今日一日を過ごそうか」と自分で工夫して創りあげていけば、最高の一日になるかもしれないわけです。
何かのせいにしてごまかしても、楽にはなれない
良い日にしようと工夫することをせず、良くない一日なんだと決め込んでしまえば、やっぱりそういう一日になってしまいやすいです。
そうやって良くない一日になってしまったことを、「今日は雨だったからな…」と、天気のせいにする。
そういうときって例えその日が晴れていたとしても、良くない一日になるような状況にあると思うんですね。
自分が現実を見ないといけないのに見ることができない…という状況を、誰かのせい、何かのせい、にしたら自分の心が楽になる、と自分の無意識がそうさせるのです。
無意識は、自分が変わろうとすること、今までと違うことをしようとすることに恐れを感じやすいからです。
天気のせいにすれば誰も傷つけないし、手っ取り早く、都合よくごまかせるんですね。
周りの環境や人から、自分の感情が影響されなくてもいい
私たちは、周りがどんな状況でどんな環境であっても、自分自身を生きてもいいし、周りの影響によって自分の心の状態を動かされなくてもいいのです。
雨だから憂鬱、晴れだから爽やか…。
そんな決まりはないのです。
私たちは、これは良くてこれはダメという判断をつけたがるところがあります。
それはかえって私たちを生きにくくさせてしまっています。
でも、晴れもあればくもりもあって、雨もあるし、雪や雷、台風もある。
それでいいんですね。
天気も自分も。
だから、ありのままをみて、ありのままを受け入れて、その中でどう生きていくかを自分で選択していく。
「今日は雨が降っている。」
「今日は雨が降っている。だから最悪だ」
文字で見るとわかりやすいですよね、勝手に自分が最悪だという感情を付け足しているのです。
雨の日にしか感じられない美しさ、穏やかさもある
私は雨の日って、モヤモヤしていたものや浮ついていた心が雨とともに流れていくようで落ち着くし、寄り添ってくれるのは雨の日だな、と感じています。
晴れていると、「よしっ、今日も気合入れていくぞ!」と、元気じゃない時も無理やり元気にもっていこうとする感じになりやすいけど、雨の日は、「こんな感じもいいよね」って自分をなだめられる感じがします。
それに、雨の音は集中させてくれるし、雨が上がって晴れてきた時の高揚感とかもワクワクするし、葉などの先にしずくができているのとかを見るだけで宇宙や自然の神秘、美しさとかを感じます。
虹だって雨が降らないと見ることができないですからね。
あなた自身の感覚を大切にする
私は、「雨の日ってこんなに良い日なんだよ。こうやって思えると素敵でしょ」とか言いたいのではありません。
私はこう思うけど、これがあなたにとって正解じゃなくていいんです。
あなたなりの感覚を大切にしてほしいなということです。
だって変な人じゃないですか、しずくを見て「うわぁー♪」とかってニヤついてる人。笑
でも、これでいいんです。誰かに危害を加えてるわけじゃないからね。
あなたはあなたを生きることが、みんなにとって一番良い
家族や友達、周りの人が自分のことを変だと思うんじゃないか…。
と他人の視線ばかりを気にして生きていると、自分がやりたいこと、楽しめること、自分の心が平和になれること、豊かになれること…
そういうものからどんどん遠ざかっていってしまいます。
そして、こういうものが正しいんだ、こうやって生きないとあなたは認められないんだ、という社会の固定観念の枠にはめられて、その息苦しさに気づかないまま生きてしまうのです。
変な人だと思われても、私はしずくとかに美しさ、心が穏やかになるものを感じる。
その感じた穏やかさが、本来の私の中にある心の穏やかさとつながって、知らず知らずのうちに周りに良い影響をもたらしていくと思っています。
みんな変な人なの。笑
だって同じ人はいないんだから。
というより、本当に変なのは、こうやって生きないといけないという支配の中で窮屈さを感じながらもそれを正しいと思って生きている人間だと、私は思います。
どんな日でも、どんな自分でも受け入れていきたいですね。
あとがき
朝起きて雨が降っていて、
「あー雨だ、ヤダな」と思ってはいけない、口に出してはいけないということではないですからね。
そして、それを言ってる人を否定することでもありません(これ、やりたくなってしまうのよね…)。
自分や他人を否定するためにした話ではありません。
もし、「あー雨だ、ヤダな」と思ったとしたら、「雨をイヤじゃないと思う自分がいてもいいよね」というような感じで付け足してもらうといいですね。
そうすると、何も否定することなく、不快な気持ちも引きずらずに、ありのままの自分でいられますよ。
コメント